幼名民治丸と云い、八歳の春剣道の師東根二郎太夫に入門、剣の修業への歩みを踏み出した。 永禄二年元服名を林崎甚助重信、そして流名林崎無双流とする。 永禄四年二十歳亡父の仇敵坂上主膳を討ち果たすと云った武勇伝がある。
従来の夢想流の技を改善まとめて流名無双直伝英信流と改名した。
従来の初一本の抜付が半身だったのを正対現在行っている技に改善する。